~キリスト教保育への思い~

「あなたがたは神に愛されている子どもです」
          (エフェソの信徒への手紙5章1節)

ひまわり幼稚園は、「幼稚園型 認定こども園」です。「幼稚園型 認定こども園」であるということは、「保育所機能を持っている幼稚園である」ということです。1960年にこの地でキリスト教保育を始めて以来、ひまわり幼稚園には「育てたい子どものイメージ」「大切にしている子どもの姿」があります。

 「いろいろな違いを大切にできる子ども」「泣き、悲しむ人と一緒に泣いたり、悲しんだりできる子ども」「自分の好きな遊びをとことん遊び込める子ども」「自然の中で、人々の間で、いろいろな経験を積み重ねる子ども」
そんな子どもたちを育てたいのです。そんな子どもたちが育っていく一つ一つの時間に大切に寄り添いたいと願っています。

 人格の基盤が形成される幼児期に、何よりも大切なことは、知識を蓄えることではなく、心の豊かさを育むことなのではないでしょうか。幼児期に「私は愛してもらった」という確かな経験を持つことが、一人の子どものその後の人生の歩みにおいて、大きな支え、尊い財産となる。私たちは、そう信じています。

 「愛する」ということは「好きになる」ということではありません。「愛する」とは、「たとえ嫌いでも、その相手を尊重する」ということです。 普通は、そんなことはできないでしょう。なぜなら、私たちの心が「好き・嫌い」から完全に自由になることはありえないからです。

 だからこそ、「あなたがたは神に愛されている子どもです」という聖書の言葉は尊いのです。この言葉から出発し、この言葉に何度も立ち返ろうとする。それが「神を信じて、生きる」ということではないでしょうか。

 この一年、子どもたちと素敵な時間を共にできることを神様に感謝します。

~キリスト教保育への思い~

「喜び楽しむものとして」(イザヤ書65章18節)

 イザヤ書の終わりは66章までです。ですから、「喜び楽しむものとして」という聖書の言葉はイザヤ書の結論部分に当たると言ってもよいでしょう。イザヤ書は読む者に「神様は私たちを喜び楽しむものとして創造してくださった」と語っているのです。

 実は、このイザヤ書の結論を理解するヒントはすぐ前の17節に書いてあります。「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない」。

 イスラエルの民はバビロン捕囚という悲惨な体験を経験しました。それは筆舌に尽くしがたい苦しみの時間だったのです。そして、そのように苦しみの真っ只中にいる時は、自分たちに再び喜び踊れる時がくるなどとは思いつきもしなかったのです。誰一人として。

 神は目に見えません。しかし、その目に見えない神が今も生きておられ、私たちに命を、赦しを、生きる力を与えてくださる。喜び楽しむものとなるように、私たちを創り変えてくださる。たとえ、私たちが信じられなかったとしても…。聖書は、そう束してくれるのです。

 2019年度、新しい年度が始まります。ひまわり幼稚園で、皆様と共に、新しい一年が始められますことを心から喜び楽しみたいと願います。この一年のうちには、きっと良いこともあれば、悪いこともあるでしょう。しかし、ひまわり幼稚園の原点であるキリスト教保育、そして、神への信仰を大切にし、皆様と共に歩んでいきたいと祈ります。